ごく簡単なシューマン論 < 付録1 / 付録2

1.ソジェット・カヴァー

 (昔の文章からの抜粋)


 さて、形式が機能を説明する以外に何かを示す例として以下のようなものが考えられる。

1)他の作品からの旋律やリズムの引用。あるいは、他の作品との類似。

 例)ベートーヴェンの交響曲 第5・9番とブラームスの交響曲

   第1番の旋律の類似。

 例)ベートーヴェンのピアノ協奏曲 第4番 第3楽章とシューマンの交響曲 第4番 第4楽章のリズム・パターンの類似[前田 1983]。

 例)シューマンの幻想曲 ハ長調、交響曲 第2番 ハ長調におけるベートーヴェンの歌曲集「遥かなる恋人に寄す」からの引用。

 例)シューベルトの交響曲 ハ長調(D.944)の冒頭とシューマンの交響曲 第1・2番の冒頭における、金管のファンファーレの使用という類似。

 例)シューベルトの幻想曲 ハ長調(さすらい人)とシューマンの交響曲 第4番の楽章構成の類似。

2)ソジェット・カヴァート soggetto cavato

3)音画 Tonmalerei(カッチア caccia, バッターリア battaglia を含む)

 例)クーナウの「聖書ソナタ」

 例)ベートーヴェンの「ウェリントンの勝利」(戦争交響曲)

 例)オネゲルの「パシフィック 231」

4)目の音楽 Augenmusik

5)作曲家によって音楽を説明する物語が提示された標題作品や、音楽を説明する表題が提示された作品など。

 例)ベルリオーズの幻想交響曲。

 例)リヒャルト・シュトラウスの交響詩。

6)ライトモティーフ

 

 以上の例が考えられるが、ここではソジェット・カヴァートについて考えてみたい。ソジェット(=主題)・カヴァート(=抜き出したもの)とは元々は15,6世紀の主題構成法である。ある語の母音を抜き出し、それをヘクサコードの階名に対応させてゆく方法である。ところで、このヘクサコードはグイード・ダレッツォがパウルス・ディアコヌスによる洗礼者ヨハネ賛歌から借用した文字から構成されている。シャイエによれば、シャイエとジャック・ヴィレJaques Viret の研究によって、このディアコヌスの詩の音節(ダレッツィオがヘクサコードのために使用しなかった音節も含む)が、「筋の通った隠された意味を表わしている」とされる。シャイエの説の詳細は省くが、シャイエによれば「グイード・ダレッツィオは、彼の〈階名唱法〉の音節にこの賛歌を選ぶことで、それ以前にすでに認められていたいわば象徴的価値を確立しつつあった」とされる。つまり、ソジェット・カヴァートの技法以前に、使用される階名には、ある種の宗教的象徴性があった可能性があるのである。

 さて、ダレッツィオがディアコヌスの詩から借用したヘクサコードの階名は、ut−re−mi−fa−sol−la であった。

  これを利用した例が、ジョスカン・デ・プレがフェラーラ大公ヘルクレスに献呈したミサ曲「ヘルクレス・ドゥクス・フェラリエ(フェッラーラ侯エルコーレ) Hercules Dux Ferrarie」である。これは大公の名前の各母音を抜き出し、以下のようにヘクサコードの階名に対応させて主題を構成したものである。

  rcs Dx Frrri

    re  ut  re   ut    re  fa  re


 次に最も有名な例が J.S.バッハの名前による音列である。「フーガの技法」の最後のフーガ(未完)における対位主題として、自身の名前をドイツ語音名に対応させたものである。バッハはこのフーガの239小節でついに力尽きたとされる。その自筆稿の最後の頁には次男エマヌエルによって、「このフーガで、BACHの名が対位主題に持ち込まれたところで、作曲者は死去した」と記された[樋口,164頁]。フーガの対位主題として後世に利用されたが、その際に、バッハの偉大さを賛美する気持ちが含まれてたであろうと考えることは妥当であろう。シューマン、リスト、シェーンベルクら、多くの作曲家が利用した音列である。

 この他に名前による音列としてはハイドンやショスタコーヴィチの例がある。だが、この2人の場合は、やや変則的なソジェット・カヴァートであると言える。まず、ハイドンだが、これはハイドン没後百年を記念して作曲された、ラヴェルの「ハイドンの名によるメヌエット Menuet Sur le nom de Haydn」とドビュッシーの「ハイドン礼賛 Hommage à Haydn」において用いられた。ハイドン Haydn の名前の綴りのうち、HとAとDに関しては同名の音名があるため問題がない。しかし、YとNに関しては同名の音名がない。従って、このYとNの音名を求めるために、アルファベットの各26文字にA−H−C−D−E−F−Gのドイツ語音名を順番に割り振ってゆくという方法が採られた。その結果、アルファベット第25文字のYには音名のDが、第14文字のNには音名のGがそれぞれ対応することになる。そこでラヴェルとドビュッシーがハイドンを記念するために用いた音列は、理論的にはH−A−Y−D−Nであり、実際の響きはH−A−D−D−Gであることになる。また、ショスタコーヴィチの場合はドイツ語綴りの自分の名前、すなわち、ドミトリー・ショスタコーヴィチ D.Schostakowitch の初めの4文字から、D−S(ES)−C−Hという音列を得ている。これを用いた作品がヴァイオリン協奏曲 第1番の第2楽章と交響曲 第10番の第2楽章である。

 また、ベルクの弦楽四重奏のための「叙情組曲 Lyrische Suite」の例がある。この作品でベルクは自身を象徴する音として Arban Berg の頭文字のAとBを用いた。同様に、愛人であったとされるハンナ・フークス Hanna Fuchs の頭文字HとFはハンナを象徴する。ハンナの娘ドロテア Dorothea が愛称ドド Do Do であり、イタリア語の音名の Do がドイツ語ではCであることから、ドドを象徴するのはCである。これも1種のソジェット・カヴァートであると考えられる。同様の例に、シューマンの「ダヴィド同盟舞曲集」op.6 がある。この作品ではシューマンの2つの性格側面を象徴するペンネーム、フロレスタン Florestanとオイゼビウス Eusebius の頭文字FとEが個々の作品に署名されている。 さて、最も多彩にソジェット・カヴァートを利用したのが、そのシューマンである。

 

 以下にシューマンのソジェット・カヴァートの例を示す。

1)「アベッグ変奏曲」op.1

 架空の伯爵令嬢アベッグ Abegg → A−B−E−G−G

2)「謝肉祭」op.9

 自分の名前 R.A.Schumann が当時の婚約者エルネスティーネ・フォン・フリッケンの住む街の名(Asch)を含んでいる点に注目した。

  Schumann の SCHA → Es−C−H−A

  Asch および R.A.Schumann の ASCH

   → A−Es−C−H と As−C−H

3)「リーダークライス」op.39 の「月の夜」

 クララとの結婚(1840.9)に先立って、この年の前半に作曲された。

  ドイツ語で「結婚」を意味する Ehe → E−H−E

4)「バッハの名による6つのフーガ」op.60

  B−A−C−H

5)「子供のためのアルバム」op.68 の第41曲「北欧の歌」

 ゲヴァントハウスの指揮者であり、シューマンの友人であったネールス・ガーゼ Niels Gade(1817−1890)はデンマークの出身だった。ところが、1848年にプロシアに援護されたシュレスヴィヒ=ホルシュタイン革命軍とデンマークとの間に3年戦争(1848−1905) が勃発したため、ガーゼは帰国することになった。ガーゼとの別れに際して、シューマンはガーゼの記念帳に「《Auf Wiedersehen 》(さようなら)としるし、それに音楽をつけ、そのバスの動きをG−A−D−E A−D−Eとした」とされる[門馬]。これを op.68-41 においても用いたのである。またこの作品は「北欧の歌 Nordisches Lied」と題されているが、「Gへの挨拶 Gruss an G.」という副題をも持っている。

  ガーゼ君、さようなら! → G−A−D−E  A−D−E

6)「FAEソナタ」(ヴァイオリンソナタ第3番)

 当初、共作であった(第1楽章=A.ディートリヒ、第3楽章=ブラームス)。後に自作の第1、第3楽章を補完してヴァイオリンソナタ第3番とした。ブラームスがシューマン家に滞在中の折に、そのブラームスをシューマンに紹介したヨーゼフ・ヨアヒムが来訪することになった。これはヨアヒムの来訪に合わせて作曲された作品であり、ヨアヒムのモットー(あるいは当時、流行していたモットーとも言われる)「自由に、しかし孤独に Frei, aber Einsam」の頭文字から得られた音列である。

  Frei Aber Einsam → F−A−E

 

 以上がシューマンの例である。なお、最後のF−A−Eはブラームスが後に再度ヨアヒムのために取り上げている。さらに、シューマンとブラームスの共作から30年後に作曲されたブラームスの交響曲 第3番の第1楽章ではブラームス自身のモットー「自由に、しかし楽しく Frei, aber Froh」の頭文字からF−A−Fから得られた主題が用いられているとされる。なお、この主題は、シューマンの交響曲 第1番 第2楽章、および第3番 第1楽章に現れる旋律を用いているとも考えられることから、シューマンの思い出と関係がある可能性もある。

 

 以上のように見てくると、ソジェット・カヴァートがどのような言葉に拠っているかによって、いくつかに分類できそうである。

i)名前。讃美すべき権力者、尊敬すべき過去の大作曲家、自分の名前、記念すべき友人の名前。

ii)その時点の作曲家にとって重要な意味を与える言葉。(婚約者の住む街、あるいは「結婚」)

iii)モットー。バッハが宗教作品に「神にのみ栄光があるように Soli, Deo Gloria」を意味する S.D.G. を付記したことと似ている。しかし、シューマンやブラームスが、あるモットーの頭文字をソジェット・カヴァート的に取り入れた際、そのモットーの精神というものに注目していたというより、むしろ、それをモットーとして掲げている「ある人」を示そうとしていたようにも見受けられる。すなわち、あるモットーがある人物を「意味」する時、そのモットーを何らかの形で音楽作品に取り入れることで、その人物への敬愛を示したのではないかと考えられる。

iv)「叙情組曲」や「ダヴィド同盟舞曲集」における頭文字のように、作品の性格づけを擬人的に与えるもの、あるいは人物の性格を作品によって示すもの。人物の性格的な要素を作品に記録する試みとも考えられる。

 

 以上のようにソジェット・カヴァートにはいくつかの用法があることがわかった。しかし、それは使用された言葉や頭文字を楽譜から分析し、それが作者とどのようなかかわりを持つものであるかを考察しない限り、沈黙し続ける言葉であると言える。その音楽作品だけを聴くと、その作品とその言葉の関係とは見えない。だが、ひとたび、ある音列が「意味」言葉から構成されていることを知れば、その音列は音楽としてだけではなく、言葉として捉えられる。その音列は音楽として聴かれると同時に、言葉としても聴かれるのである。

 犬のことを「いぬ」と呼ぶか、あるいは〈dog〉や〈Hund〉と呼ぶかの違いはあっても、それらが犬を指すという点で同じである。そのように、ソジェット・カヴァートとして用いられた音列は、バッハのことを「バッハ」という言語音で表すか、B−A−C−Hという音列の響きによって表すかという違いはあるものの、それらがバッハを指すという点で同じである。しかし、「ヒト」という語がそれだけでは、「ヒトがいい」の「ヒト」のなか、「サルからヒトへ」の「ヒト」なのか、「ヒトとしてのイエス」の「ヒト」なのかはわからないのと同様に、B−A−C−Hという音列もバッハを示しはするものの、どのような「意味」のバッハを指すのかはわからず、従って多義的であると考えられる。その多義性は辞書に載っていないため、個々の作品の文脈を経験することによって得られてゆくと考えられる。シューマンの「バッハの名による6つのフーガ」におけるB−A−C−Hと、シェーンベルクの「管弦楽のための変奏曲」op.31 におけるB−A−C−Hとでは、当然、用いられている文脈は異なっている。また、それを用いた作曲者の意図も異なっているであろう。 そうした場合、2つの作品で用いられているB−A−C−Hは、構造的には同一であるものの、それが「意味」するところは異なると考えられる。B−A−C−Hがバッハを「意味」することはわかるものの、では、その「『意味』の意味」は何かという点が解釈できない。「ぼくはたぬきだ」という文において、「ぼく」という語と「たぬき」という語の「意味」がわかったにもかかわらず、「ぼく=たぬき」であるとはどのような「意味」かが、わからなかったことと同じであると考えられる。「ぼくはたぬきだ」の「『意味』の意味」は前後の文脈が理解されてはじめて理解できるものである。 従って、前後の文脈を「B−A−C−H=バッハ」式に理解できない限りは、このB−A−C−Hの「『意味』の意味」は、厳密にはわからないままであると言える。それでも、漠然とそれがわかるのは、他から得た情報、つまり伝記的事項や構造分析による客観的情報と、作品の持つ雰囲気などの主観的情報を相互に照らし合わせた結果であると考えられる。

 

(引用文献)

樋口隆一『バッハ』新潮文庫, S60初版, H2(8刷)
門馬直美『ユーゲントアルバム』楽曲解説, 全音楽譜出版(出版年無記載)

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