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シュメーエのニ短調交響曲

* 「い花」のような *


交響曲 第4番 ニ短調 op.120 (1841年第1稿)

Sinfonie Nr.4 d-moll op.120

(in der ersten Bearbeitung von 1841)


CD; koch schwann MUSICA MUNDI [311 010 H1]


coupling;

Norbert Brgmueller /
Sinfonie Nr.2 D-Dur op.11

(This Symphony's Scherzo was orchestrated by Robert Schumann)


指揮 / ゲオルク・シュメーエ

Conductor; Dirigent / Georg Schumoehe

ベルリン放送交響楽団

Radio-Symphnie-Orchester Berlin

録音 / 1987.3.4

Recording;Aufnahme / 4.3.1987


Andante con moto.Allegro di molto (attacca)

-Romanza.Andante

-Scherzo.Presto (attacca)

-Largo.Finale.Allegro vivace

     

 1楽章から成る交響曲。通常演奏される現行版(1851年改稿版)

では、楽想はドイツ語で表記されている。しかし、この交響曲が成

立した当初は、ここにあるようにイタリア語が用いられていた。楽

譜中における指示その他に、イタリア語ではなく母国語であるドイ

ツ語を利用することは、「新音楽時報」の中でシューマンも提言し

ている。ある時期を境に(私はその時期を正確に把握していないけ

れど)、シューマン自身、作品でドイツ語を率先して用いるように

なった。交響曲第4番の改稿に際して、楽想の表記もドイツ語に変

更したというところに、シューマンの交響曲への姿勢をうかがい知

るヒントがあるように思えるのだが、、、。



 さて、ここで取り上げたシュメーエの録音だけれども、どういう

スコアを用いているのかが明記されていない。スウィトナー指揮に

よる交響曲第1番の第1稿版はワシントン国会図書館所蔵の自筆総

譜に基づいていることが、前田昭雄氏のライナーノートに明記され

ている(*1)。しかし、このシュメーエの4番の方はよくわから

ない。ただ、聴き比べてみればAllegro vivace(第4楽章に相当)

の木管のフレーズに、通常「1841年版」として演奏される版とは異

なるパッセージがあることがわかる(*2)。ラインハルト・カッ

プのライナーノートには、これがブラームス校訂版(通常演奏され

る「1841年版」)だけではなく、自筆稿も参照の上、録音されたら

しいことが記されている。また、誰でも気がつく大きな違いといえ

ば、Romanza(第2楽章に相当)にギターが入っている点だろう。

自筆稿にはギター用の段を1段あけていながら、実際には音符が書

き込まれなかった旨、ライナーノートに記載されている。ギターの

使用は通常演奏される1841年版では考慮されていない(というより

も、そもそも総譜にないので使われない、、、)。



 時に、私がはじめて聴いた「1841年版」がこの録音だった。はじ

めて聴いた日はあまりの衝撃に(なにしろ現行版と似ていながらまっ

たくの別人)、夜は眠れず、そうなると当然、朝までこれを聴くと

いうことになる。完徹しても完徹の疲れを忘れさせる演奏だった。

何か爽やかな、そして力強いエネルギーが作品からも演奏からも吹

き放たれていて、精神の疲労はもちろん、肉体の疲労をも忘れさせ

た。忘我。1841年版も1851年版も、どちらもシューマンとしての連

続性を感じさせるのだけれど、明らかな違いを強烈に意識させる。

31歳の青年と41歳、、、。2つの版を思い浮かべることは、この10

年間のシューマンの内面の変化をなぞるようなものだ。



 私個人はそれまで1851年版に特別な思い入れがあったのだけれど、

シュメーエを聴いて以来、1841年版の方が、より私の感性に近いと

感じるようになった。感性に近い、、、うまい謂ではない。だが、

ほかの言葉を思いつかない。何かを共有している、、、の方がより

感覚的には合致している。まあ、それはいい。



 何が、どこがそんなに私にとって劇的だったのか。現行版と違う

部分は皆、劇的だった。しかし、最も私が脱魂状態(?)に陥った

のは、Scherzo から Allegro vivace にかけてのブリッジ部分、さ

らには Allegro vivace 冒頭部分である。(第2トラック:5分20

秒〜7分14秒)



 ベートーヴェンのモットー「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ Durch

Leiden Freude」風でありながら(現行版の該当箇所はよりベートー

ヴェン的なようにも感じられる)、ベートーヴェン的な粘着性はな

い。ここに私が感じたのは、春の光に対する憧れであり、天空への

上昇・飛翔だった。ベートーヴェンの「歓喜」が太陽への上昇、恒

星への飛翔であるなら、この交響曲のこの部分での「歓喜」は、ど

ことも知れぬ漠然とした輝かしい場所、光に満ちた天空のはるか彼

方への飛翔である。フランツ・シューベルトの精霊が大気の中を漂

い飛んでいて、シューマンはそこへ行ったきり帰らない自分を夢見

た、、、と私には思えた。私がシューベルトにも、シューマンにも

共通して見いだすものが、ここに完全な形で表出されていた。

   

 

この森も

王蟲の子も

砂も水も

みんな本当に

存在してます

ここへ

案内するために

あなたの内なる

森が入口として

必要でした

あなたの森は

奥深い

こんなに豊かな

旅ははじめてです       (*3)

  

 

(*1)

オトマール・スウィトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン

による交響曲第1番自筆稿版世界初録音(交響曲第3

番とのカップリング)のライナーノート。なお、筆者の前

田昭雄氏はヨーロッパ在住の世界的なシューマン研究

者である。

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(*2)

私が気になったのは、現行版なら第4楽章の第115小

節以降にあたるところ。

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(*3)

宮崎駿「風の谷のナウシカ」第6巻,p.84,徳間書店,

1993.

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(1999.5.24.02:54)
(1999.5.25.02:46)

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